ミニラグビーは安全だけれど、ときにはケガを負うこともある。いたみをガマンしなければいけないときもある。
アヤカには忘れられない一日がある。
2001年。小学校6年生の秋の終わりのことだった。東京の武蔵野陸上競技場(むさしのりくじょうきょうぎじょう)。おじさんこと鈴木雅夫(すずき・まさお)に連れられ、その長男の健太郎たちとミニラグビーの大会に出場した。
「もう絶好調で、トライをたくさんとった。すごく活やくしたんです。たぶん、それで相手チームから目をつけられたんじゃないかなぁ…」
3試合目だった。ボールをパスした瞬間、相手チームのデブっちょのオトコの子がドン!とぶつかってきた。そのままたおれ、そのデブっちょのオトコの子は、アヤカのからだの上にドスンとのっかった。
ズキンと左足に痛みがはしった。足首のひどいねんざだった。立ち上がろうと思っても、痛くてすぐには立ち上がれない。
タイム。うずくまって泣いていたら、おじさんが寄ってきた。
「どうした?」
「足が痛いんです」
「どうする。やるのか? やめるのか?」
アヤカはカチンときた。やる。やるにきまっている。このまま退場したら、おじさんに負けることになる。相手にも、自分自身にも。そんなのイヤだ。
「やります」
少し氷で患部(かんぶ=ケガをしたところ)を冷やし、その試合は足を引きずりながらプレーをつづけた。
おじさんの述懐(じゅっかい)。
「アヤカは、もう、鬼のようにトライをしました。ケガのあと、5トライくらい。相手をかわして、かわして。ホント、ケガしているのかな?って不思議になるくらい」
ノーサイド。試合が終わると、ケガをさせたデブっちょの母親がおじさんにあやまりにきた。「活躍している子だったのに、大丈夫ですか?」。
なんだ、このおばさんは? 正直、アヤカはムカついた。そのおばさんの言葉に、なえかけていた闘志にさらに火がついた。
左足首をテーピングでガチガチに固定して、もう2試合に出場した。
「なにくそ、みたいな、火事場のバカ力です。アドレナリンが出たんですね。2試合ぐらい、ちゃんと動けました」
大会が終わる。汗が止まると、からだが冷えてきた。左足首はまだズキンズキンと痛む。アヤカはこん色のベンチコートを着て、競技場の外のバス亭までヒョコヒョコ歩いていた。
オレンジ色の西日がまぶしかった。そのとき、初老の夫婦がアヤカにちかづいてきた。おばあちゃんがやさしい声をかけてくれる。
「足、大丈夫なの?」
「ちょっと痛むけど。へっちゃらです」
「ははは。あなたのプレーを見て、すごい元気をもらったわ」
おじいちゃんが続く。
「そうだ、そうだ。あんたのファンになったよ」
知らない人から、こんな声をかけてもらうのは初めてだった。冷たい風がほおに心地よかった。アヤカはそのときの初老夫婦のうれしそうな顔を思い出す。
「ウワーッて、感動ものでした。わたしのプレーをみてくれる人がいたのがうれしくて、うれしくて」
宝物のような一日だった。それからだ。アヤカは試合でいっそう、ハッスルするようになった。一生懸命(いっしょうけんめい)にプレーすれば、チームメイトだけでなく、知らないだれかも感動してくれる。おうえんしてくれる。そう思うと腹の底から不思議なパワーがわきでてくるのだった。
ただ、である。武蔵野陸上競技場の試合でのケガから、左足のねんざはクセになった。よく、同じ場所を痛めるようになったのだ。