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第二章・第2話
「自分にできること。香港セブンズ」

大震災に対して、一人ひとり、何ができるかが大事である。アヤカは決めた。自分にできることを、すこしずつ、ひとつずつ、やっていこう、と。

震災後、日本ラグビー協会は迷った挙句、女子日本代表を香港ウイメンズセブンズに派遣することを決めた。代表選手がひたむきにプレーする姿に、復興への希望を重ねてくれるだろうとの意図だった。

アヤカは当初、日本代表には呼ばれなかった。今回の代表は、人材育成のための『ラグビーアカデミー』というカテゴリーの若手主体で編成される方針だったためである。

キャプテンは、2010年、バレーボールから転向してきた藤崎朱里だった。名前は「あかり」と読む。でもニックネームが「しゅり」。1984年生まれの26歳ながら、ラグビー経験はまだ1年弱だった。

アヤカはといえば、心身とも万全ではなかった。2010年10月の広州アジア大会でのケガが尾を引き、右足の付け根に痛みが残っていた。「筋膜炎」だった。力をグイといれると肉離れしそうになるから、全力で走ることができなかった。

「こわくて思い切って走れない。からだの筋肉がバラバラみたいな感じで…。全然エネルギーがわき出てこなかったんです。それにメンタル的にもちょっと…」

そりゃそうだろう。アヤカは広州アジア大会のキャプテンである。チームの先頭に立ち、全力でプレーした。五位に終わった。「完全燃焼というか、無力感というか」。憔悴(しょうすい)していたのだった。

そんなとき、日本代表に呼ばれたのである。香港ウイメンズセブンズまで、あと2週間という時だった。若手主体に編成したけれど、ゲームメイクをやる選手がいなかったからだろう。アヤカはちょっと複雑な心境だった。

「だって、セレクションもなく、代表に選ばれるなんて。人数合わせみたいな印象だったのです。全然、スッキリしませんでした。自分では21歳は若手じゃないのかな、と思っているんですけど」

年齢はそうだが、ラグビー歴でいえば、もう15年ほどになる。もはやベテラン選手扱いなのだ。

「でも、“いけ”といわれたら、ケガをしていてもいこうと思っていました」

こんどはキャプテンではないから、さほど責任感がない。アジア大会と比べると、日の丸自体へのプレッシャーも少なかった。

「ラクな気分の大会でした。でもフィジカルもメンタルも全然、上がっていかなくて。こんな状態だったら、ひどいケガをしてしまうな、と思っていました」


2011年3月。女子の日本代表は、香港ウイメンズセブンズのため、香港に入った。チームには伊藤絵美、田坂藍、原仁以奈という3人の初代表選手がいた。

追加されたベテランが、28歳の兼松由香とアヤカだった。

試合前日。香港のホテルの黒岩純ヘッドコーチの部屋で試合のジャージ渡しがあった。ジャージ渡しに先立ち、YouTubeの映像をみんなでみた。東日本大震災に対し、世界各国の人々が日本を応援するプログラムだった。「がんばれ!ニッポン」と。

アヤカは胸がジンときた。

「日本人、がんばって。ひとりじゃないよって。それで日本を意識させられた。わたしたちにできることは、日本の誇りをかけて、一生懸命にプレーすることだと思いました」

全員にジャージが渡ると、ひとり一人が決意を口にする。背番号が「2」。消防士を兄に持つ兼松はこんなことを言った。

「被災者のために働いている兄を誇りに思っている。自分がここにいるのは、いろんな人のお陰だと思います。だからタックルをする。自分にできることはタックルです」

背番号「8」。地震による液状化現象で苦労した冨田真紀子は涙を流した。

「毎日がずっと不安だった。親戚からお米をもらったりして、ふだんの生活のありがたさがわかりました。だから被災された人々のためにがんばりたい」

アヤカは背番号「6」。

「こういう時期に香港に出してもらったことに対し、協会に感謝している。じゃ、何をすればいい。こんなときだから、思い切ってチャレンジしたい。日本の人たちに少しでも元気や勇気を与えるプレーを思い切ってやりたい。勝負をしにいく」


日本代表だもの。どうしたって、サクラのジャージを着れば、闘争心に火がつく。

3月25日。香港フットボールクラブ。香港ウイメンズセブンズが始まった。いつも通り、雨は降っていないのだけれど、灰色の雲が垂れこめている。少々肌寒い。

朝10時。日本代表はプール戦でカナダと戦った。ウォーミングアップがうまくいったこともある、日本代表の動きはよかった。なんといっても気力がみなぎっていた。スタンドオフのアヤカがボールを回し、センターの兼松がガンガン抜ける。

つないでつないで、カナダのゴールラインに何度も迫った。でもインゴールノックオンが二度。スタンドの観客も、大震災を受けた日本の応援一色だった。

「がんばれ、ジャパン!」

「がんばれ、ジャパン!」

低いタックルで大きなカナダ選手に突き刺さる。タックル、タックルでプレッシャーをかける。前半が0−7。アヤカが交代した後半、カナダにパワーでおしつぶされた。4トライを奪われ、0−31で敗れた。

続くアメリカ戦。井上愛美が走りに走って、トライをあげる。でも若手チームゆえか、組織的なディフェンスができていないから、パコンパコンと抜かれてしまう。アヤカは後半に出場。7−24で屈した。

3戦目が、ロシア戦だった。アヤカは先発で出場する。兼松が猛タックルを連発する。これでチームにリズムができた。前半が12−7。リードをしていたけれど、後半4分、キャプテンの藤崎朱里が相手選手の髪をひっぱってしまって、ハイタックルでシンビン(退場)を食らってしまった。

さらには冨田が右ひざの十字じん帯を痛めた。痛くて悔しくて涙がこぼれる。応援にきていた母親も一緒に泣いていた。このとき、日本代表は5人となった。その5人が必死でタックルを繰り返す。耐えに耐えて、リードを守り切った。17−12で初勝利。

アヤカは言う。

「みんなで勝った。みんな、がんばった。チームが結束した勝利です」


台湾には29−0で圧勝し、日本代表は5・6位決定戦に回った。相手が宿敵の中国だった。アヤカは勝負をかけた。

唯一のトライが後半4分だった。アヤカは相手を抜いて、兼松とクロスする。タックルされたところでポイントをつくり、すかさず回して、最後にフォローした藤崎が左隅に飛び込んだ。

だが要所でミスを犯し、中国の個人技とスピードにやられた。5トライを献上し、5−31で敗退した。6位に終わった。

強がりか、本音か。アヤカは奥歯をかみしめながら、手ごたえを口にする。

「わたし自身は中国には勝てると思った。これだけの悪いコンディションで結構、やれた。要はフィジカルの差だった。日本は低いタックルと、つなぎとサポートで勝負です。ボール際のスキル、パスのスキルは日本が上だったと思う。負けたけれど、日本はどのチームより粘り強かったと思います」

いいぞ、いいぞ。勝負魂はへこたれない。すでにリベンジへの種火(たねび)が燃え始めている。

「ことしはすっごいガマンの年になりそうです。被災した人たちと一緒にガマンして、ガマンして、がんばっていきたい」

アヤカは立ち止まらない。いつも全力、いつもチャレンジ。戦い続けるのである。

第3話に続く

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ラグビーガールズ 鈴木彩香 第二章 第2話「自分にできること。香港セブンズ」 ※写真はすべてイメージです。

ラグビーガールズ 鈴木彩香 第二章 第2話「自分にできること。香港セブンズ」 ※写真はすべてイメージです。