4年に1度のラグビーのワールドカップ(W杯)が開催国ニュージーランド(NZ)の優勝で幕を閉じた。熱狂の6週間だった。街はNZの活躍でどこも盛り上がり、入場券収入も目標を達成した。目を閉じれば、「オールブラックス(NZの愛称)!、オールブラックス!」の歓声(かんせい)が聞こえてくる。
オールブラックスは強かった。7試合を戦い、301得点、40トライをマークした。きたえ抜かれた個人技と身体能力を生かして、パスを散らしてつないでいく攻撃的ラグビーを見せた。スピード豊かな展開ラグビーは見ていてオモシロい。ワクワクする。
よくみれば、小さい頃からよほど厳しく教え込まれたのだろう、確かな基本プレーがベースにあった。
パス、ラン、タックル、キック、ダウンボール、サポートプレー…。その基本技があればこそ、CTB・ノヌー、スミスやFB・ダグら魅惑的な選手が並ぶバックス、フランカーのマコウ主将やロックのソーンら勤勉なフォワードがより光り輝いたのだ。
選手層も厚い。大黒柱のSO・カーターらケガ人が相次ぎ、マコウ主将も右足の負傷をおしての奮戦(ふんせん)だった。決勝(10月23日・オークランド)では、22歳の代役SO・クルーデンまでケガで交代することになった。でも国内4番手のドナルドが代わりを無難にこなした。チームの団結は揺るがなかった。
決勝は白熱した戦いだった。相手はフランス。1次リーグの対戦ではNZが37-17で圧勝した。でもファイナルではフランスが意地を見せた。1次リーグのときとはまったく違ったのだ。自陣でもほとんどキックを蹴(け)らず、パスで大胆につないできた。
後半序盤に1点差に詰め寄られると、NZは残る30分余、防戦一方となった。でも守り切った。ディフェンス網が乱れても、個人のタックルの激しさと精度は変わらなかった。粘って、耐えて、8-7で逃げ切った。430万国民の夢を背負った、“傷だらけ”のオールブラックスが頂点に立ったのだ。
1987年の第1回大会以来、じつに24年ぶりの優勝である。もうケガでボロボロのマコウ主将は言った。
「疲れ果てて言葉もない。持てる力の全てを出しきったことを誇りに思う。これもNZの人々のサポートのおかげだ」
確かにNZ人の後押しは大きかった。ラグビーを宗教みたいに信仰(しんこう)する。ときには選手への重圧となろうが、やはり土壇場(どたんば)では「力」となる。そのNZ人の「熱」を肌で感じていただけに、勝ってよかった、とつくづく思う。
決勝戦のあと、市街地は夜明けまでお祭り騒ぎとなった。車のクラクションが鳴り続け、酔っ払いの大声が飛び交った。「オールブラックス! オールブラックス!」と。
会場はどこもほぼ満杯で、90%のチケットが売れた。入場券の販売額は目標の2億6850万NZドル(約160億円)を突破した。W杯中、『リアル・NZ・フェスティバル』と銘(めい)打たれたイベントが各地で開催された。食べ物、観光、特産品と各都市の魅力満載の催しで、どこも人、人、人だった。
6週間、NZ国内をひとりで旅してまわった。大会収支はともかく、盛り上がりという観点でみれば、ラグビー母国のW杯は大成功だったと思う。正直、これで日本代表(3敗1分けで1次リーグ敗退)がひとつでも勝っていれば、もっとよかったのだけれど。
この夢舞台が8年後、日本にやってくる。ラグビー伝統国以外では初めての開催となる。一番は日本代表の強化である。さらにはラグビーという競技の普及、スポンサーなどのビジネス面、スタジアムなどの環境整備が課題となる。
繰り返す。8年後の2019年には日本で夢のW杯が開催されるのだ。いま、小学生の若手ラガーよ、日本代表をめざそう。ラグビーをしていない人たちはボランティアでもいいから、「祭り」に参加しよう。みんなでラグビーの根っこの部分の盛り上げを図っていこう。
だって。
W杯には夢がある。