2012年1月18日
「今を生きる子どもたちに今の物語を届けたい」
あるひとりの会社員が抱いた、そんな情熱とともに設立されたエンブックスは、2010年8月に設立された絵本専門の小さな版元です。
同版元のラインナップは、まだ2作品のみ。売り上げ冊数の累計は......まだまだ目標には遠く及びません。代表兼編集長を務める西川俊充さんは、数千冊の絵本の在庫の山に囲まれて仕事をこなす日々です。創業以来、収益はほとんどない状態で「このままだと"ホームレス編集長"になってしまうぞ」と思ったこともあるという西川さん。しかし、そんな大変な状況も「覚悟のうちです」と笑い飛ばします。
この春、4月末には3作目の『ニコニコしょうてんがい』を、5月末には4作目の『わにのだんす』を刊行予定。『ニコニコしょうてんがい』は、昨年開催された、ある絵本コンクールの大賞作、『わにのだんす』は、NHK連続テレビ小説『てっぱん』の脚本家・今井雅子さんによるお話を絵本化、とそれぞれ注目を集めそうです。エンブックスの絵本は、少しずつですが確実にファンが増えています。
少子化問題に加え、本がなかなか売れない ---- 90年代後半から続く出版不況といわれるこの厳しい時代にあえて、絵本専門の版元を立ち上げたのはなぜ? そして、その道のりはどのようなものなのか? 西川さんに聞いてみました。
絵本作家を目指し、イタリア留学へ
「もともと絵を描くことは好きで得意だったことなどもあり、学生時代からずっと、表現する世界に関わりたいとは思い続けていました。社会人としてスタートを切ったのは、日本気象協会でした。社内デザイナーとして入社し、テレビ番組用の天気画面などを作っていました。そこで4年半。しかし、『もっと表現の幅を広げたい』という思いはつのっていたと思います。
たまたま私の上司だった人に、絵本が大好きな人がいたんです。自宅がそれこそ図書館のようで、お邪魔したときに名作中の名作絵本『ちいさいおうち』、『よあけ』を手に取りました。大人になってから開いた絵本は初めてでしたが、内容がひじょうに深いと改めて気づき、絵本の無限の可能性を感じました。
そこで当時は絵本作家としてやっていきたいと思い、勢いだけでイタリア留学を決意したのです」
それから約6か月後の2004年8月から1年間、イタリアのフィレンツェへ美術留学に出かけました。それは西川さんにとって初めての海外経験で、いきなり1年間の海外生活でした。留学前にラジオ講座などでイタリア語を学びましたが、行った当初は「切符が買えるくらい」のレベル。しかし、日本人留学生だけの寮を出て、シェアハウスで外国人と共同生活を始めたことをきっかけに、必要に迫られてイタリア語が上達したといいます。
絵本を取り巻く厳しい現実を目の当たりに
イタリアで絵の勉強をした後は、仕事を通じて本作りを基礎から学ぶため、リクルートのゼクシィ編集部に約2年在籍。その間も"いつか起業したい"、"とにかく絵本の仕事に就きたい"という気持ちは持ち続けていたといいます。その後、小さな出版社にて、絵本の世界におけるネットワークづくりを経験し、絵本の出版を目指しましたが、そこで絵本をとりまく状況の厳しさを知ることに。絵本を出してもなかなか売れない、商売にならない、という現実です。
西川さんはいいます。
「絵本の歴代発行部数の上位ランキングや、実際の売り上げランキングを見てみると、ベストセラーの過半数を占めているのは、何十年も売れ続けている、いわゆる名作絵本、おなじみの作品です。つまり30年ぐらいマーケットが変わっていない状態なのです。
絵本作家になろうと思っていたときは、私が幼稚園のときに読んでいた本が今も変わらない状態で読めるということに喜びを感じ、感動もしていたのですが、編集者の視点で見てみたら、同じ状況が全く違って見えてきました。新たな絵本作家の作品を、子どもたちに届けるという、"あたりまえ"であるはずの循環がほとんどできない。絵本界は停滞しているように思いました。
ただ、自分が親の立場だったら、子育てしながら子どもに与える本に、名も知らない新人作家の絵本はなかなか買わないよね、という気持ちもわかります」
絵本の「この先30年」を考えたものづくり
「実際、名作といわれる作品は本当にすばらしく、長年培われてきた安心感や信頼感もあります。でも、絵本のこの先30年を考えたとき、このまま同じ作品を届けるだけでいいのかな、という違和感は自分の中に確かにあります。例えば、描かれている風景が時代からかけ離れていくとか、そういうことも含めて。雑誌、小説の世界で30年前の本が書店に平積みされているということはまずありませんし、絵本の「賞味期限」がいくら長いといっても、いつかは「昔話」になる時がやって来ます。
編集者としては、今の作家には今の時代を生きる子どもたちに向けた作品を描いていってほしい、そういう環境を作る責任があるのではと強く思いました。生意気な言い方かもしれませんが、新しい作家が次々に育っていける環境作りをしなくては、ということに使命感を感じエンブックスの起業というところに行き着きました。
幸い、今はまだ絵本作家になりたいという人はたくさんいます。国際的な絵本コンクールで入賞した人であっても出版の機会がないというのが現実です。才能・実力があっても新たな作家に出版の機会が与えられず、育っていけない。絵本界にうずまく停滞感をなんとかしたかった。彼ら彼女たちと一緒にやっていくことで、自分がいち絵本作家として作品を世に出すよりも、大きなインパクトを与えられると信じています」(西川さん)
明日の<後編>では、引き続きエンブックスの話題を取り上げます。
【取材協力】
エンブックス
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