わたしの教育記録入選発表

第45回「わたしの教育記録」特選受賞者 儀間奏子先生に会ってきました

日本児童教育振興財団が募集する2009年度『わたしの教育記録』の懸賞論文で、史上初の沖縄県の受賞者となった名護市立大北小学校教諭の儀間奏子(30歳)さんは、いったいどんな先生なのか、教育技術編集部の記者は興味津々で沖縄に飛びました。そして、儀間先生と一緒に、記録の舞台となった沖縄最北端の離島の伊平屋小学校と、この春から勤務する名護市立大北小学校を訪ねました。

フェリーが着くと、子どもたちが待ち構えていた
伊平屋島の桟橋にフェリーが着くと、ターミナルでは子どもたちが待ち構えていた。子どもたちのにぎやかな歓声が聞こえてくる。
ターミナルにむかえに来てくれたかなこ先生の元・教え子たち
ターミナルにむかえに来てくれたかなこ先生の元・教え子たち。女の子は活発、男の子はもじもじ。

沖縄本島中部、「美ら海水族館」があることで知られる本部半島の北部に位置する今帰仁(なきじん)村の運天港から出航したフェリーは1時間20分ほどで沖縄県最北端、伊平屋島の前泊港に入港した。デッキに立つ「かなこ先生」を見つけた3年生(当時の2年生)たちが歓声をあげる。笑いながら大きく手を振る先生。なんだか30年以上前に見た映画の1シーンのようだ。

伊平屋(いへや)は総人口1396人、573世帯、東シナ海に浮かぶ離島の村。観光とは無縁なため知名度はイマイチだが、琉球王朝の発祥地といわれる誇り高き村である。島には小学校と中学校が1校ずつあるが高校はない。島の児童たちは同年代の都会っ子たちより体格が少し小さめだが、動きは俊敏。女の子はとても人なつっこく、男の子はちょっと人見知り。記者が「東京の小学館という会社からきました。ドラえもんやピカチュウはおじさんの友だちです」と自己紹介すると、すぐに打ち解けた。児童数96名、職員は付属の幼稚園職員を入れて16名というこの小さな伊平屋小学校に、かなこ先生は2年間勤務した。

枝と幹を広げたガジュマルの木が目に飛び込んでくる
伊平屋小学校の校庭に立つと校舎を覆うように枝と幹を広げたガジュマルの木が目に飛び込んでくる。灼熱の季節には子どもたちに涼しい木陰を提供してくれるオアシスになる。
伊平屋小学校の職員室で
伊平屋小学校の職員室で。右は教頭の玉城先生。左はかなこ先生の元・飲み仲間でもある金城先生。

順調だった伊平屋デビュー

琉球大学を卒業して教職(そのうち補助教員期間2年)に就いて7年あまり。はじめての離島赴任に最初は勝手がわからず不安だったが「先輩の先生や保護者が夜な夜な集まる飲み屋を発見して。そこで交流を重ねるうちにすぐ島の人間になっちゃいました(笑い)」と、順調な伊平屋島デビューにはお酒の援軍があったようだ。地域のコミュニティーの力も強く、児童たちは島の大人たちの愛情を一身に浴びてのびのびと育つので、非行や不登校などの問題もなく、保護者対応のストレスもなかったという。

むしろ高校になって初めて外の世界に出る子が大半なので、「島立ち」、つまり「島からの自立」が学校全体、島全体の最大のテーマなのだという。今回の応募テーマ「新聞投稿の活用」も児童たちの社会性を早くから育む必要性を痛感しての選択だったという。「離任するときは生徒や保護者が岸壁でテープを投げて盛大に送ってくれて。送られるほうも送るほうも大号泣でした」と、かなこ先生はちょっと遠くを見る目つきになった。

特選の賞状と賞金50万円の贈呈
大北小学校の校長室で照屋校長立会いのもと、かなこ先生こと儀間奏子さんに『第45回私の教育記録』特選の賞状と賞金50万円の贈呈。沖縄県の先生として初の受賞、おめでとうございました。

翌日は島から戻り、現在の勤務校である本島・名護市のはずれにある名護市立大北小学校を訪ねた。かなこ先生は伊平屋からここに転任してすぐ1年間の休職をとり、琉球大学大学院で「学級集団づくり」を研究中。実質的には今年の4月から大北小学校で教鞭をとる。校長の照屋先生によると「この地域は片親の児童が約3割もいる難しい学区で、児童の家庭の教育環境も厳しい。儀間先生の若い突破力に期待しています」とのこと。牧歌的で平和な島の小学校から教育環境の厳しい都市型小学校へ……。かなこ先生にとって2010年は勝負の年になりそうだ。

樹齢140年のガジュマルの木の前で記念撮影
伊平屋小学校の職員室の前、樹齢140年のガジュマルの木の前で記念撮影。大きく広がった枝や伸びた気根を伝って子供たちはめまぐるしく動き回り、天然のジャングルジムのよう。沖縄ではこの木に子どもの姿をした精霊・キジムナーが棲むという言い伝えがある。
大きな滑り台
校庭にはこんなに大きな滑り台も。記者も後でこっそり滑ってみました。
取材・構成/黒笹慈幾 撮影/小早川 渉(おきなわフォト)
かなこ先生のこれまでの歩み
  1. 沖縄県南城市知念(旧知念村)に生まれる(1979年5月)。
    父=刑務官、母=役場職員(村立図書館司書)、兄、姉、私、妹 の6人家族
  2. 小学4年生(知念村立知念小学校)の時、小学校の先生になろうと志す
     初任者担当の担任の先生の補助として、理科と社会科だけを教えてくれた先生と出会い、初めて社会科という教科が好きになる。その時に、「今まで好きではなかったものを好きにさせてくれる先生ってスゴイ!私も先生になりたい!」と思い、教師を志す。
  3. 中学(知念村立知念中学校)〜高校(沖縄県立開邦高等学校・英語科)
    小学校の先生になろうという思いは変わらず、進路選択では、「先生になれるところ」を規準に選ぶ。しかし、高校入学後は勉強に挫折。勉強が嫌いになる。しかし、夢をあきらめきれず、高校2年の後半から受験勉強に励む。琉球大学に無事合格。
  4. 大学(琉球大学教育学部学校教員養成課程 社会科教育コース)1998年〜
    大学は、社会科教育コースに進む。小・中学の一種免許を取得(中学は社会科)。3年次の時に社会学ゼミに入り、「若者の社会意識の変化」という題名で卒業論文を書く。その時のゼミの先生が、「僕は勉強が好きだから、今の仕事につけて幸せ」という言葉を聞き、自分もそうなりたいと思う。(今も、大学院で同じ先生から学んでいます。)
      一つ上の先輩が採用試験にストレートに合格したのを見て、自分も同じように勉強し、無事4年次で合格。
  5. 小学校勤務開始(2002年4月〜)
    (1)補充教員時代:2年間 ※沖縄は、試験に合格しても、何年かは採用を待つ期間(年齢が高い人はすぐに採用される場合もある)があり、2年間は補充教員を体験する。
    ●南風原町立北丘小学校:2年生担任(1学期間)
    ●知念村立知念小学校:1年生担任(1ヶ月)
    ●南風原町立津嘉山小学校:4年生担任(約半年)
    ●知念村立知念小学校:3年生担任(1年間)
     この2年間は、失敗・挫折の連続。集団として子どもたちをまとめることができず、何度か教師をやめようかと考える。しかし、どうにかしようと、色々な本を読み、研修に参加しながら学んでいく。
    (2)本務採用:5年間(2004年4月〜)
    ●名護市立大宮小学校:5年生担任(2年間)
     初任者担当の先生が、和光小学校勤務の経験を持ち、算数や総合的な学習の時間の奥深さを教えてもらう。しかし、この2年間も、集団作りに悩み、失敗を重ねる日々を過ごす。教師に向かないのではないか?と思いながら、様々な学びを模索する。その時に参加した、日本生活教育連盟の大会が契機となって、生活教育について学びだす。それまでの「子どもによいものを教える授業」から、「子どもと一緒に学ぶ授業」と意識の変化が生まれる。うまくいかなかった原因は、私が、子どもたちの良さを生かすのではなく、自分が良いと思うのを押し付ける授業を行っていたことに気付く。学校の先生方に色々教えてもらいながら、子ども観や教育観を固めてゆく。
    ●名護市立大宮小学校:4年生担任(採用3年目)
      名護市の国語研究会に入り、その年の2月に名護市で行われる全国国語研究大会の授業者に決まる。これを受け、学級作りを一から丁寧に行う。この年から、学級のみんなで学び合うことができるようなクラス作りを行う。子ども観・教育観も大きく変え、子どもの意見を尊重しながら、学級を作ることができるようになっていく。研究授業を通して、子どもたちの学びの深まりを肌で感じる。この時に「目標」を持つことで、子どもたちはそれに向かって頑張っていけることを学ぶ。同僚の先生に今回の受賞につながった新聞投稿のことを教えてもらう。
    (2007年4月〜2009年3月)
    ●伊平屋村立伊平屋小学校:3年生担任
     初めての単学級で不安の中のスタート。学級14名で、場面寡黙の子がいるものの、全体的に意欲があり、学習の理解も高い子どもたち。生活面で手がかからず、学習に集中できる。そこで子どもの意欲を伸ばすために、社会科と総合的な学習の時間を融合させた「伊平屋の達人になろう」の取り組みを2学期から始める。日生連の大会で知り合った、北海道、東京(八丈島)、大阪の先生のクラスと交流開始。学習を劇にまとめ、学習発表会で行う。3月の総合発表会では、パワーポイントを使ってプレゼンができるほどに成長する。場面寡黙の子も、話ができるようになり、楽しく1年間を終える。新聞に全員の作文が掲載される。
    ●伊平屋村立伊平屋小学校:2年生担任
     学力が低く、学習に手をかけてあげなければならない子どもたち。しかし、素直で優しい子どもたちで、徐々に、みんなで教え合いながら学びあうことができるようになる。生活科のテーマを「海名人になろう」と設定し、保護者や地域の人と触れ合わせながら、伊平屋の海を大切にしようとする気持ちを育てることができた。新聞に全員の作文が掲載される。
    (2009年4月〜)
    ●琉球大学教育学部教育学研究科教科教育専攻社会科教育専修
     大学時代と同じ先生に学ぶ。教育社会学を専攻し、「学級集団づくり」をテーマとし、エスノグラフィーをしながら集団がどのように作られていくのかを調べる。
    現在は、日本生活教育連盟の研究会、社会科教育の研究会、平和ガイドの育成を行う研究会、大宮小学校を主体とする勉強会で学ぶ。それぞれ、月1回の例会を持つ。それ以外で、気になった研究会や研修などにも参加している。
○これまでの私の転換点だったと思っていること
1つ目は、教師になろうと志した教師の出会い。教師の魅力を知る。
2つ目は、大学のゼミ先生との出会い。勉強の楽しさに気付く。
3つ目は、採用された初任者担当教官・日生連との出会い。教える楽しさに気付く。
4つ目は、子どもと一緒に学ぶ楽しさに気付く。名護の大宮小学校と伊平屋小学校。
これまでの経緯のまとめ
小学4年生で小学校の先生の先生になりたいと思い、それ以後目標は変わらない。中学校までの先生は大好きだったので、小学校か中学校の先生になりたいと思う。バスケットをやっていたので、部活を持ちたいと思う。高校時代は、勉強に挫折。寮生活や部活動で 気を紛らわそうと思うが、夢を諦めきれず、受験勉強に励み大学に入る。採用までは、どうすれば早く先生になれるのか?という最短コースを探る。
卒業後〜採用2年目までの4年間は、自分の理想と現実のギャップに悩む。子どもとの関係作りをうまくできず、悩む日々。しかし、この期間が私にとって色々なことを学べ、経験となる。採用3年目で、学級の作る楽しみを得る。その後、伊平屋小学校へ。伊平屋小学校1年目は、子どもたちの成長に合わせて、色々なことにチャレンジできる。2年目は、それを踏まえた実践を継続。私にとって、伊平屋小学校時代が教師として育ててくれた場所。教師として、さまざまな可能性を伸ばしてもらう。
 大学院では、教育社会学で集団作りを学ぶ。これも、自分が集団作りをうまくできなかった時代が長かったことが原因。今は、教育社会学を学びつつ、戦後の実践家や、現代の社会科教育等を学び、自分の実践を振り返っている。ここ4年間は、毎年自分の実践を発表し、色々な先生からアドバイスをもらう。実践は、算数、総合的な学習の時間、生活科を発表。
文/儀間奏子

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